戦後70年=平和70年

東京国立近代美術館へ、収蔵品展示の戦争画を観に行きました。

藤田嗣治をはじめ、軍に依頼された画家たちが当時描いた戦争画を目の当たりにするのは初めてでしたが、その大きさにも驚きながら(4m のパノラマサイズも)
生々しいような、虚構のような… 記録写真などで知ってきたものとは、”別物”でした。
70年前、人々は、どんな思いで観ていたのだろうか。

今日のAtelier Nova では、「美術手帖」の岩渕編集長に伺ったお話もご紹介しました。
8/17に出る最新号の特集が「絵描きと戦争」。戦争画の掲載されていますし、それらを描いた人たちの、戦後の発言も掲載されています。終戦から数年後であったとしても、生の声、という感じが強い言葉の数々です。

「今の視点からだけ見ても一方通行になってしまうので、私たちの視点が相対的になるように」と。一方通行にならないために、っていい言葉だなと思いました。

相手は、絶対に自分とは違う考え方をしているわけですもんね。どんな時も。

人は、本当に言いたいことは言わないことも多いのではないかと思うし、
何を言わなかった、言った、ではなく、
言わなかったことや言えなかったことを、他の人が想像することで、
ようやく埋まることも、たくさんあるんじゃないかと、
とても大事なんじゃないかな、と、漠然といつも思っていることを、
今日は、より強く思いもしました。

美術や芸術、で考えてみても、想像することの大切さなのではないかと思います。
言葉にならないことがたくさんあるはずの戦争にまつわることで、
察したり、想像したりすることが、後の私たちにできる一番で唯一のことかもしれません。

話は飛びますが….私は、父がアメリカ人、母が日本人です。
両親が結婚する時は、双方の親は、そうそうスムーズに喜んだとは聞いていません。(その後、仲良い家族ですが)
アメリカの祖父母と、日本の祖父母は、戦争をし合った国同士なわけで、
私から見ても、まったく別世界の双方でした。
もちろん、どちらも大好きだったので、どういう風にしたら、また戦争が起きないだろうかと、真剣に、特に夏は悩んでいた時がありました。引き裂かれるなんて、会えなくなるなんて、考えられなかったので、私が、ちゃんと、その素晴らしさを伝えれば、誤解し合うことなく、未来ずっと仲良くやっていけるんじゃないだろうかと本気で考えていました。今の私の原点の一つは、たしかにここにあるだろう、と思います。

また小さい頃の私は、終戦記念日が夏休みでよかった、ともこっそり思っていました。学校の歴史の授業で、第二次世界大戦のところになると、「なんで日本にいるんだよ、アメリカへ帰れ」と言われることがあったので、学校のある時期だったら、クールに交わしながら下校するのは嫌だと思っていたのです。

そんな話、たいした話ではないですが、私は私なりの痛みと、想像する方法を学んできたように思います。みなさんにも、きっと いろいろありますよね。
今日は、そういうことを少し吐露しつつ、人のそういう話を聞けるといいと思う日です。

そういえば、さっき、テレビで久米宏さんが「戦後70年」という言葉に対して、次の戦争が始まっていないから「戦後」と言えるのだ、というようなことをおっしゃっていました。戦後70年、100年….それは、つまり平和70年、平和100年、とか、そういうことですかね。日本では、ですが。

よく書き初めで書いた「世界平和」の四文字、これは偉大だ!