古典を今に生かすということ

 先日、浅草のアサヒアートスクエアに、劇団山の手事情社の凱旋公演『タイタス・アンドロニカス』を観に行った。(シビウ国際映画祭(ルーマニア)に2年連続招聘上演、世界的に高い評価を得ての凱旋公演)これが、とても面白い仕立てだった!シェークスピアの物語が、和装とコンテンポラリーな肉体表現(動き?)で繰り広げられるのだけれど、シェークスピアをそのまま観るより、ずっとぐっとしっくりくるような、吸引力に魅せられる。役者のみなさんの一人一人が質の高さも、こういう舞台を生むのだなぁーということも。ストーリーは、最悪なほどに残虐で!!どんどん裏切られ、どんどん殺され、手は切られ、舌は切られ、救いはあるのか?!ということを畳のある上で。すべての緻密さが、表現世界の奥深さ、無限さを作り出しているようで、刺激的だった。
 そうそう、演出家(安田雅弘さんという方)のお話で「古典は、感情表現の宝庫なんです」というような言葉があった。歌舞伎を観に行ったりすると思うことでもあるのですが、喜怒哀楽が如実に表現され、観ていてすっきりするところもあったりする。最近は、怒りの感情が湧いてきても、怒り方がわからないとか、泣くタイミングがわからないとか・・いわゆる、自分の感情表現が、うまくできない人が多い時代。現代日本人は、古典の言葉を失っているから、自分たちが暮らす社会以外の価値観にもとても鈍感で、これははたから見て、非常にいびつな社会であろうと。・・ここだけ書くとちょっと伝わらないかなぁーでも、頷いた言葉だったので、記しますね。時代の幅を、心や体に広く持っている人は、豊かだと思う。これは、年齢ではなく、どういうものに、どれだけ触れているかという年齢。表現年齢?なんて言葉はないか、でも、そういうものが、人を現すような気がするし、そういうもので、どうせならはかられたいかな。この日は台風の影響で、風雨強く、舞台のあとは、久々に涼しい夜だった。